今夜は新月で(北極付近で)金環日食だそうですね^^
先月の満月(皆既月食)の日、ブログ 朝が始まる♪世界が始まる☆彡
をアップした後、
ふと窓の外の光に気付いて見上げると、
月食から満月へ戻りつつある月が輝いていました。
(。´・ω・)ん?
もしや、探す(見る)方向、違ってた!?
雲に覆われて見えないのだと思い込んで(見ている方向がズレたまま)
あるのに(見ていないから)ない、にしていたのでは??
現実にある(見えている)かどうかではなく
自分の中で、それがある(カタチ)になっているかどうか
例えば、ケーキが食べたい!と思って
買って帰るつもりがスッカリ忘れて帰宅すると…
冷蔵庫を開けたらケーキが入っていたり^m^
毎日、緑茶豆乳ラテを作って飲むために( ^^) _旦~~
お茶(煎茶の茶葉)を買い足しておこう♪と思って
しかし、なぜかお茶屋さんに行くのを忘れていると
気付いたら頂き物のお茶(煎茶、抹茶、粉茶)が増えていたり^m^
頂き物の中には、苦みが強く好みの味ではない…
単一農園・単一品種・無農薬で茶葉が選別されていない「荒茶」もあったりして
聖一国師の時代のお茶はこんな感じだろうな…と思いを馳せながらも
ネットで調べてみると、好みじゃない煎茶はほうじ茶にすると良いらしい^^
とあったので早速♪テキトーに(^^ゞ焙じてみると…
お茶屋さんの前を通った時に時々漂うあの香ばしい香り☆
お茶好き♪には幸せの香り~(≧▽≦)
そして、ほうじ茶豆乳ラテにしてみると~( ^^) _U~~
「喫茶去」を思い出した…(・・;
おそらく、その時代の修行僧の方々にとって
お茶は、今の時代のようにホッとするモノではなかったであろう…
それを飲んだら寛ぐとかいった気軽いものではなく、
苦っっっ!!!と目が見開く(@□@)ような(笑)
目が覚めちゃう!?ようなものだったのではなかろうか~?と^^;
今、読み返してみると…
趙州禅師のお話の「喫茶去」も「庭前の柏樹子」も
同じだなぁ…
頭の中でグルグルとストーリーを展開させているお弟子さん?に対して
それを「断つ」お話に感じられます^^
わかってしまえば簡単だけど、いつでもそう在れるかというと
ストーリーそのものである「私」にはムリな話(笑)
それが出来ていたら「禅」なんでしょうかね(・・?
ぅわぉ~w(°o° )w
そんなのを「禅」の修行僧の方々は目指していたのか…
無私ですよ!?
あ、ここで無私の「私」はストーリーの事です。
頭の中で勝手に展開しているストーリー。
それ無しの人なんているの!?
まぁ、それが悟った人かもしれませんが^^;
毎瞬、今に生きていると言えば、そうなのでしょうし、
過去も未来も存在しないと言えば、そうなのでしょうし、
それは私たちの本質であって誰もがそれそのもの、と言えばそうなのでしょうし、
だからといって、その視点で在れるか、と言えば、
「私」には無理じゃね(・・?
と思わざるを得ない^^;
う~ん…
既にある(それが近付いている・それに近付いている)のに、
そんな事とは知らず、他で得ようとあらぬ方向に目が向いている^^;
それが「私」の性質なのかなぁ(・・?
そして「私」が消えると「私」が引き留めていた抵抗が解けて、スル~ッと流れる。
「私」が消える、すると新しい「私」が生まれる。
誰もが毎瞬、新しく、同じ瞬間(場面)は二度とない。
毎瞬、新しい。
あの人も、この人も、「私」も、毎瞬、新しい。
一期一会
そんな事を思う新月の夜でした^^
☆*:.。. ありがとうございます .。.:*☆
